カスケードバレイから摩耶山へ

 昨日の午後、摩耶山を源流とする杣谷川を遡り、杣谷峠をめざした。

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 杣谷は、別名カスケードバレイと呼ばれているが、道標などには徳川道と書かれている。

 都賀川の上流となる杣谷川右岸に沿って歩き、灘丸山公園東側の坂道を突き当たれば永峰堰堤(昭和16年完成)がある。

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 この堰堤から登山道に入るが、杣谷峠までの間に、実に多くの砂防堰堤があった。

 杣谷堰堤を過ぎると、広い河原があり、ぱっと開けた上空に初夏を感じた。

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 地面に焚き火の跡がいくつも遺っていた。

 河原の奥の方にターフを張って寝ている人や、他にも何組かの人がぽつねんと過ごしていた。

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 初めは杣谷川を高巻くように道がつけられ、樹林の下を歩く。

 川の水音が耳に心地よく聞こえた。

 川と道とが同じ高さになるとき、何度も石の上を歩いて対岸に渡渉する。

 登山道入口から30分ほど歩いたところに、徳川道についての説明板があったので紹介する。

 『徳川道は、幕府の命により兵庫開港の年慶応4年(1868年)に完工した。当時の名称を(西国往還付替道)といい、海沿いの主要幹線である「西国街道」を大きくう回する道筋であった。(石屋川-杣谷-摩耶山裏-小部-藍那-白川-高塚山-大蔵谷)居留地での外国人との衝突をさけるために設置されたにもかかわらず、同年、備前藩が外国人と衝突、市街地が外国兵に占拠された。世にいう“神戸事件”である。その後、この道は廃止されたが、大正年代よりハイキングコースとして利用され、「徳川道」と呼称されるようになった。』

 徳川道の説明板から10分ほどの急坂に鎖が付けられており、その付近からは南側の展望が開け、灘区の市街や六甲アイランドが見えていた。

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 そこからしばらくすると、結構長い金属製の階段が現れた。

 徳川道が出来た当時は果たしてどんな道だったのかと思った。

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 大きな石のある小滝の手前で、バイク2台の残骸が放置されているという悲しい光景に出合った。

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 たまに後ろからやって来て、追い抜いていく人もあったが、やはり午後遅くなってくると、このカスケードバレイを下りに使うグループや単独の人と多くすれ違った。

 ある女性から「今から登ってどこから下りるんですか?」と尋ねられたので、「バスで下ります」と言うと「そんな方法もあるんですね」と納得していた。

 程なく石段の道が現れ始めると、杣谷もガレた河原が目立つようになった。

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 杣谷峠に近くなるにしたがい、石やコンクリートで造られた階段が続き、疲れが出た。

 途中の長い休憩を含み約2時間かけて杣谷峠に着くと、見覚えのあるきれいなトイレがあった。

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 そして、ここから摩耶山まで約30分かけて車道を歩くことにした。

 この日、縦走路のアゴニー坂を歩く気にはならなかった。

 先日訪ねた摩耶山天上寺の前を通り、オテル・ド・摩耶への分岐を過ぎ、摩耶山掬星台に着いた。

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 昨日、こうしてカスケードバレイこと徳川道こと杣谷から摩耶山へ歩いた。

 「杣谷」、「カスケードバレイ」、「徳川道」、この同じ谷の道筋を言うのに、いずれも由緒がある名前で使い分けが困難であるが、この記事のタイトルには、やさしい響きのカスケードバレイを使うことにした。

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この記事へのコメント

2010年06月08日 08:02
阪急・六甲から徳川道を歩いて森林植物園を通り小部峠まで歩き鈴蘭の湯(天然温泉露天風呂)へのコースも温泉好きには好いかも・・・
また杣谷椻堤を過ぎて広場の河原から100m位登って行くと正式な道標ではないが、誰かがボールペンで書いた案内があり其処から獣道ですが木々に巻きつけられたテープを頼りに登って行くと長峰山・天狗塚へ、このルートも探検的で面白いです。此の徳川道からは山寺尾根を駈け上がっての摩耶・掬星台はトレーニングには最適ですが、流石このルートにはトレイルランナーは見かけません。
2010年06月08日 23:35
これまで滅多に六甲山系を歩くことはなかったのですが、少しずついろんな道を歩いてみたいと思うようになっていますので、う~さんのブログを参考にさせていただきますね。

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